道あゆみ 公式ブログ

秋の収穫を振り返るー千葉の農業

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10月のことになりますが、松戸の高春農園で、お芋掘りをしました。
娘にとっては、人生初。私や夫も、何十年ぶりかの芋掘りでした。
改めて驚いたのは、常磐線から車で数分のところに豊かな土地が広がっている上、さつま芋ばかりでなく梨やその他の果物などが豊富に実っているということ。まさに、掘っても掘っても尽きることないくらいの秋の収穫でした。
千葉の農業関連統計によれば、農業産出額は全国3位(平成22年度発表統計)。なかでも、他県に比べて、お野菜や果物、そしていも類の産出高が多く、さつま芋、日本なしは、いずれも全国1位です。
また、最近では、20代、30代の方たちが、千葉に移り住んで農業を始め、これまでとは違った新しい発想で農産品をつくり消費者にアプローチされていると聞きます。たとえば、千葉市内で開催されるアースデイマーケットなどは、生産者と消費者が直接つながるお見合いのような場所。顔が見え、生産現場の見える農産物は、食べる側にとっても安心です。また、そうしたつながりを得ることは、子どもたちにとっても貴重な食育になります。
新鮮な試みには、日本の農業の新たな可能性をみる思いです。

ジャガイモのように、フライドポテトにしてゴマ塩をふると、また違った味わい。

ジャガイモのように、フライドポテトにしてゴマ塩をふると、また違った味わい。

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好き嫌いの多くなってきた娘ですが、自分で掘ったお芋を食べる美味しさは代えがたいものがあったようです。まさに、豊かな大地に抱かれて、口いっぱいに秋の実りをほうばっていました。

成田というまち

成田の街並み
7月以降も、何度か成田のまちを訪れています。
先日は、丁度成田では紅葉祭が開催されていました。七五三の季節ということもあって、成田山には正装された参拝客が多くお出かけになっているようでした。
以前から思っていましたが、この成田というまちは本当に奥深く、多様で、そして神秘的です。
まずは、新勝寺という大変な伝統と格式のあるお寺があり、それを中心に門前町が昔ながらの風情を醸し出します。一方で、新住民のお住まいになるニュータウンがあり、巨大なショッピングモールがある。そしてもちろん、そのそばには世界に誇る成田空港があり、周囲にはなお田園風景が広がっている。そんな沢山の顔をもつ成田は、千葉のなかでも、昔も今も最も注目されるまちであり続けたようです。
私は、1966年(昭和41年)の生まれです。その前後に構想され着手された成田空港の建設計画とそれをめぐる一筋縄ではいかない経緯は、物心ついた頃には、既に日本史の一こまのように語られていた印象がありました。しかし、ここ数日いくつかの文献を読んで、成田と空港をめぐる「歴史」を改めて勉強し、今は穏やかなあの土地で想像を絶する惨劇が繰り返されたことを知らされると、文字通り胸裂かれる思いがしました。成田のまちが日本の高度成長期の葛藤や矛盾を引き受け、苦しみ、そして変化・発展を遂げてきたことに、心からの敬意を表せずにいられません。
40年、30年前のことは、既に過去のことではあるけれど、一方で歴史は脈々とつながり、息づいている。そのなかで、自分たちも生まれ育ち、生きてきたのだ、とも実感しました。
そう考えれば、一筋縄でいかない歴史を背負い、今なお多様な顔をもつ成田が今後どのような道を進んでいくかは、成田市民はもとより今の日本を生きる私たち誰にとっても他人事ではありえない。新たな時代の空港のあり方が議論され始めた現在、一層そのことを具体的に考えるべき時期がきているのではないか。
そんなことを改めて感じながら、すっかり冷たくなった晩秋の成田の空気を、深く胸に吸い込みました。

千葉市生涯学習センターにてー子どもの問題を考える

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先日、千葉市の生涯学習センターで開催された、子どもの人権懇話会に出席してまいりました。3時間に及ぶシンポジウムでしたが、時間を忘れさせる充実した、そして質の高い内容に圧巻されました。
この日は、シンポジニストとして千葉県と鎌ヶ谷市から行政のご担当が登壇され、さらに家庭裁判所調査官、自立援助ホームの運営者、と多彩な面々がそれぞれのお立場から千葉の子どもの現状を語られました。とりわけ、虐待にあうなど要支援・要保護の状況にある子ども達を、どうやって発見し効果的に支援・保護をするかということについて、意見交換や提案がなされました。
私自身も、弁護士という仕事を通じて、子どもの問題、虐待等の問題にできる限り関わってきたつもりです。児童相談所の実務に関わったこともあれば、帰るところをなくした少年・少女の代理人としてその自立をサポートしたこともありました。当然のことながら、そうした活動は、決してたやすくありません。生まれ育った環境に恵まれなかった子どもたちを救い出す手段も限られている上に、せっかく救い出されても、その後に待っている場所が家庭よりも格段に良い環境とは限りません。何より、彼らがいつか自立して社会の構成員として生きていくには、待ちかまえるハードルはあまりに高い。親の支援なくして子どもたちが学業を修め、仕事を得、健全にくらしていくことは、この国では実に困難なことなのだと思い知らされました。
この日のシンポジウムも、そうした現実をふまえ、行政がどのような政策を講じることができ、民間の関係者がその役割を大いに発揮するには何が必要なのかを明らかにすることができたように思いました。しかし、東京都などに比較すれば、たとえばまだまだ自立援助ホームの数も乏しい実情に、千葉の課題の一端が見えてくるように感じました。
この社会で傷ついた子どもとどう向かいあうか。それは、決して限られた人たちだけに関わる特殊な課題でも作業でもありません。そうした子どもたちは、この国に生きるすべての子どもたちの直面する現実を象徴した存在とも言えるし、そもそも、子どもたちの直面する現実は、この社会そのものが直面している現実に他なりません。大人はかつて必ず子どもだった。そして、子どもこそがこの国、社会の未来をつくる構成要素そのものであることを考えれば、「この社会を憂うならば、まずは子どもの直面する現実に立ち向かうべき」ではないか。と、改めてそう思わずにはいられませんでした。

緑豊かな長生にてー日本の教育を思う

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先日は、長生郡長南町にお邪魔しました。
長生にうかがう度思うのは、本当に自然豊かであること。古きよき里山が、ここにはまだ沢山残されていると感銘を受けます。
そして、今回は、長南町に誕生した個性豊かな学校、ドイツのシュタイナー教育を採り入れた学校、「あしたの国シュタイナー学園」を拝見して参りました(学園は撮影禁止なので、写真は周辺の町並みです)。
この学校、導入者とも言える子安美知子さんの言をお借りすると、時間割も「ない」。教科書も「ない」。「ないない」尽くしの学校。子安さんご自身が、お嬢様をドイツのシュタイナー学校に入学させたご経験から、この教育に魅せられたようです(詳細は、中公新書『ミュンヘンの小学校ー娘が学んだシュタイナー教育』ご参照のこと)。
この日は、この学校の「おまつり」ということもあり、千葉以外からも沢山の見学者がいらしておられました。そのなかの何人かが口にされていたことは、
「日本に今一番につくってほしいと思うのは、学校」。
既存の教育システムの中では、いやがおうでも、様々なルールがありスケジュールがあり、管理があり序列があり。誰のためのものか分からない、沢山の義務もある、とのこと。更には、競って「習い事」や「お受験」をさせることが当たり前の環境となれば、幼児期に花開きかけた個性や主体性もつぶされていくのではないかと心配にもなる、ということかもしれません。
そういえば、市川で何人かのお母さん世代と懇談した際に、「うーむ」と唸らされたのが、
「市川に住んでいて、中学受験をさせないでいるというのは、至難のわざ」という言葉。受験をさせないためには、親戚含めてどれだけ沢山の関係者に「言い訳」をしなければならないか(理解を得ねばならないか)、というご苦労を語っておられました。
私も、かつていじめ等学校関係のご相談や裁判を手がけるなか、痛感したのが、日本の教育の様々な課題であり、歪みでもありました。振り返れば、(市川のお母さんが言われるように)お金と時間に余裕のある家庭(親)なら、子どもを受験させないわけいにはいかない、という文化があるからこそ、殊に首都圏では、公立中学校離れが進み、ときに学校が荒れ、だからこそ一層公立離れが進むという悪循環に陥っている。そして、教育格差や序列がいやおうなしに強まる、ということが起きているのではないかと感じます。
とは言え、現在の学校関係者やその先生を糾弾しても、まして、今ある状況を切り抜けようと必死の保護者の皆さんを説得しても、すぐに何かが変わるということではないとは思います。また、教育ほど、「なにが良いか」を結論しかねるものもないし、時間をかけてみんなで議論すべき、ある種永遠のテーマなのでしょう。
ただ、「あしたの国」のような、ある意味斬新な教育を実践している方達や場に出会うことで、逃げ道がないように思える現状を、ふっと相対的に見つめることはできるのではないか、と感じました。
そして、私の目から見て、「あしたの国」に「あって」、通常の学校に「ない」ものがいくつかありました。その最たるものは、先生の裁量ではないか、と思っています。教育が、とりわけ初等教育が、人と人との人格的触れ合いを中心とする以上、教員がある程度の裁量をもち、現場の状況に応じて、柔軟に人間的に、その力量(あるいは人格的魅力)を発揮しないことには、本来の教育は実現難しいのではないか、と感じずにはいられません。
私の娘も4歳。就学を数年後に控え、親としても思うところ多い一日でした。

松戸での映画上映会ー「降りてゆく生き方」

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先日、松戸で、「降りてゆく生き方」という映画の上映会がありました。
この映画、決して通常の商業ベースの劇場では公開されていない映画です。
昨年発表されて以来、全国各地の有志による自主上映会によって上映され続けてきたという、不思議な映画です。
たまたま、この映画、プロデューサーをしているのが私の以前からの友人というご縁で、初めて市川で上映されたときから、私自身も折にふれ上映会をのぞかせて頂いていました。
ところで、この日上映場所となった松戸の「ありがとう早稲田ビル」は、はっとさせられる位に心地よく素敵なビルでした。「体によさそう」という表現がしっくりくるその空間、1階には、オーガニック・サロンが入っています。普段は、小さいお子さん連れのお母さんが集まり、お買い物をされたりお茶を飲んだりと、時間を過ごされるそうです。壁も珪藻土、床や家具の木材も無垢でできていて、深呼吸したくなる穏やかな空間でした。
上映会は、7階のホールで行われましたが、ホールも明るくて快適な空間。集まってくる方々も、それこそお子さん連れが多く、健康的に自然体で暮らされている市民の皆さんとお見受けしました。
映画の内容について説明しだすと相当長くなってしまうので、詳細は省略しますが、人間の本当の幸せって、競争社会のなかでギスギス生きていくことのなかでは見出せないよね、競争から降りていって初めて発見できるんじゃないの、と。そんな問いかけをふくんだ映画です。今回の上映場所となった早稲田ビルの空間に、そのコンセプトはとてもしっくりと合います。
上映のあとは、多くの場合、参加者の方同士がお茶を飲むなどしてコミュニケーションの機会をもち、そこで映画の感想などを共有します。そして、映画を通じて「つながっていく」感覚を体得して帰られるそうです。そういう意味では、映画鑑賞後にその思いを誰にも話さずそれぞれに家路につく、通常の映画館とは違った「場」となっていることは間違いありません。それを目当てに、何度も参加される方もいらっしゃるとのことでした。
きっかけはともあれ、見ず知らずの方とそんな風に「つながっていく」感覚をもてる場というものが、現代社会にはもはや中々見出せなくなっているのかもしれません。
一つの映画を通じ、また映画の上映という営みを通じ、私たちの生きる時代を改めて考えずにはいられませんでした。

「キッチンみのり」さんへ

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先日、松戸市稔台の「キッチンみのり」さんを覗かせて頂きました。
以前、街頭演説の際にお聞き下さってご意見を下さったご主人。
8月に、新しいお店を出されること、ツイッター等で教えて頂いていました。
お邪魔するのがすっかり遅くなりましたが、よく晴れた休日の午後、お店を探しあてました。
休日とあってお客さんの姿はいませんでしたが、こざっぱりとした清潔な店内。ショーケースには、10種類以上の、どれも体に優しそうなお惣菜がならんでいました。私は、豆腐のハンバーグとイカと大根の煮付けを頂きました。どちらも、やさしいけれどしっかりとしたお味。
オーナーのご主人のおっしゃるところによれば、健康を害され、在宅で療養されているご高齢者が、「体によくて美味しいものを食べたい」と思っても、そのニーズに応えられる会社は実はあまりないというのが実情とのこと。
確かに、世にお弁当やさんお惣菜やさんは沢山ありますが、多くが単身の若者やお子さんのいるご家族をターゲットにしているように感じます。高齢化社会へと突き進んでいるにもかかわらず、豊かに歳を重ねていくための仕組みやサービスが中々整わないのが現状なのでしょう。
とはいえ、それは私たち全員が抱える現実でもあります。誰もが他人事と思わず、そして官民の垣根も越えて、互いに知恵を出し合い、力合わせていくしか課題を超えていく道はないのではないか、と感じます。
これからも、皆さんの問題提起とお知恵に学ばせて頂きたい、と思いました。

つくしが丘カフェで一息

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先日、新柏のつくしが丘カフェにお邪魔しました。
以前、マスターとはお友達のお引き合わせで名刺交換をしていましたが、そのとき、「ようやく落ち着ける場所を見つけた」と、そのお友達が絶賛していたカフェです。
お邪魔してみると、なるほど、納得。ふつうのお宅に招いて頂いたような、アットホーム感。マスターの気さくなお人柄のせいもあり、すぐに空間になじみます。
ちなみに、私は、「女性に人気」とお奨めのあった、冷製トマト麺を頂きました。
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酸味とバジルのきいたトマトスープのなかに、コシの強いうどんが入り、その上に温泉卵がのっています。イタリアンのような和食のような、サッパリしていて個性的な味、クセになってしまいそうです。
食後には、マスターから、カラー占のお話をうかがいました。生年月日などの属性と、好みの色などから、その人の本質や状況を占うそうです。
何時間いても飽きず、居心地悪くならず。確かに、「落ち着ける場所を見つけた」とおっしゃる意味がよくわかります。
こういうお店、どうか雰囲気をそのままに、末永く続けて頂きたい。そして、こんな穏やかで素敵な出会い、是非とも大切にしたい。そう思いました。

木下の地で、お彼岸

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先日は、印西市木下に参りました。
木下は、父方の祖父の出身地。物心ついた頃には、毎夏毎冬と、この木下にお墓参りに出かけるのが、我が家のならいでした。
今年の夏は、ひときわにこの地をお騒がせしたお詫び、お礼を兼ね、お彼岸の折に家族で「先祖の地」を訪ねました。
「お墓」の意味がまだ分からない娘も、なにか厳粛な雰囲気を感じたのか、「おはかまわり」と繰り返しながら、一生懸命手を合わせ、掃除を手伝います。
私自身も、今回千葉の地で政治活動をさせて頂いたのは、そもそもは、この木下の地のご縁が発端であったと、感謝の思いを新たにしながら手を合わせました。
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木下の平和な町並みをながめ、「小さな町が、あのときはとにかく熱くなった」と、叔父や叔母とともに今年の夏を振り返りながら、あの暑い夏の日が少しずつ遠のき、思い出に変わりつつあることに気付きます。
彼岸を境にくっきりと季節も変わり、私自身の中にも、ようやく一つの区切りが生まれ、そして、未来への英気が着実に生まれ育つ手応えを感じてもおります。
そんな新たなエネルギーをくれる木下の地と、そこでの温かいご縁。これからも、何より大切にしていきたいと思っています。

DVシェルターを運営する「かしわふくろうの家」-10周年記念フォーラムにお邪魔しました

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9月5日、柏市のアミュゼ柏で開催された、「かしわふくろうの家」10周年記念フォーラムにお招きを頂きました。
ふくろうの家さんとは、実は、柏で政治活動をスタートするずっと以前からのご縁。私が監修した、実業之日本社の「ドメスティック・バイオレンス」の中で、このふくろうの家を取材させて頂いているのです。本の中でもインタビューに答えている代表の細谷さんは、本当に逞しく頼りになる、有言実行の素敵な女性です。
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ところで、この日のフォーラムのメインは、中島啓江さんの講演会でした。
講演の感想を一言で言うなら、「こんなに自然に、温かい涙がわき出たのは久しぶり」。
彼女の幼少期からの母との記憶、母への思慕。父の記憶、父への切なく複雑な思い。決して一筋縄ではない家庭内の事情や、「よそ者」として容易くない環境を生きた小学校でのエピソード。苦楽の全てをさらけ出し、ときに人間の残酷さすら炙り出す彼女の語りには、しかし、不思議なことに憎悪や妬みを一切感じることはありませんでした。むしろ、この日の彼女のお話からは、その歌声と同じように、人間への深い深い慈しみと、愛を感じずにはいられません。
私自身、沢山の家庭内の事件、親子・夫婦の事件に、弁護士として携わるなか、人間や家族の残酷さや不完全さを痛感することがままありました。と同時に、おそらくは同じ頻度で、人間というもの家族というものの、美しさやかけがえのなさを発見し、そこに愛おしさを感じずにはいられなかったという、思いがあります。
自分もあなたも、誰も彼も。不完全だからこそ、愛おしい。そして、愛さなければ、許さなければ、永遠に悲劇は終わらない。中島さんの講演からは、(それが難しかっただろうからこそ染み出でる)震えるような迫力に満ちた、そんな渾身のメッセージが聞こえてくるようでもありました。
ーそして。思い起こせば、そもそも、そんな思いから政治を目指したのではないか、と。なにか、私自身の胸の奥に、疼く別のものがありました。暴力や虐待、いじめや犯罪。社会の暗部であり非日常であるかのようなその構造が、いずれも単純ではないこと。善悪明瞭と言い難いことも少なくないこと。その原因においても結果においても、社会に生きる私達が、誰1人として無縁なものではないということ。
そうした、ときに伝えづらいことを伝えたい。そこから様様な立法を政策を、一つ一つ進めていきたい。
祈るようにそう念じ、初めて政治を志した1年前を、自然に思い起こす。この日の講演は、そんな、私にとって忘れられない、味わい深いものとなりました。

「発酵」の地、神崎

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先日、久しぶりに神崎にお邪魔しました。
神崎には、知る人ぞ知る、酒蔵「寺田本家」があります。同社を率いる寺田社長は、蔵人として、経営者として、人間と自然を語る人として、多くの方を惹きつけてやまない、素敵な方。
実は、この神崎という小さな町が、3月のほんのひととき、何万人の来客で埋め尽くされます。お蔵フェスタと呼ばれるそのお祭、最初は、寺田本家を中心としたほんの小さな集まりに過ぎなかったそうですが、今や、無数の店舗に埋め尽くされる一大祭に形を変えています。
私も、今年3月、家族でのこのお蔵フェスタに来場。自然農法の農産物や加工品、素敵な雑貨や衣料品、おもちゃなど、目にも体にも優しく楽しいものばかりが並ぶ神崎町を歩きました。
そして、今回の選挙の準備期間中、私は、千葉の将来、地域の活性化、あるいは、日本のこれからの行く末を考えるに際し、しばしばこの神崎の地を思い起こしました。
東京から2時間以上かかるこの小さな町に、驚くほど沢山のファンがいらっしゃること。それは、美味しいお酒を買い付けにくるファンというにとどまらず、寺田社長の生き様や哲学に学び、あるいは救いを求めてくる方が多いという事実に、驚きと感動を隠せませんでした。
それだけ、今の時代、多くの方が、自分の生き方や生き場所が見つからず、あるいは、心の孤独を抱え、ある種さまよい、答えをさがしているのではないかとも感じます。
自ら病を経験し、いくつかの挫折を乗り越え、今、本当に素敵な笑顔を浮かべる寺田社長のキーワードは、「発酵」です。自然な微生物が「仲良く」生きているうちは、発酵をするだけで、「腐敗」はしない。人間も、自然に自分らしく、そして仲良く楽しく生きて「発酵」しているうちは、決して腐ることはない、という哲学。
選挙、落選という非日常を経験したからこそ、今一層に、その哲学が胸にしみます。

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